狭山池は見ていた!!
日本最古の溜め池と云われている狭山池は昭和61年に堤改良計画が立案され昭和63年度か
らダム本体の大工事が始まった。
狭山と云えば皆が『池』を想像するほど名をとどろかせた有名な池で、戦争に駆り出された
郷土の若人の憩いの堤として、終戦後の昭和26・7年にはギヤンブルに胸をときめかした人
々が集る競艇も開かれたり、狭山遊園地のボート遊びの池として活躍したり、‘もろこ’や
‘わかさぎ’の釣り場として、また南河内平野の水瓶として多くの田畑を潤し、大阪の池とし
て叉河内の池として多くの人々に親しまれて来ました。
春は桜の名所として、夏は水面を渡る涼風に涼を求め、秋はたなびく黄金の稲穂と遊園地の
紅葉、冬はわかさぎ釣りと池辺の雪景色などなど生活に密着した憩いの場所として、また古
には天野街道、高野街道を旅する人の憩いの場所として心休まる景色を堤した事でしょう。