狭山藩陣屋と新大和川!!


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秀吉に攻め滅ぼされた北条氏(北条早雲の末裔)は、家康の嘆願に依り許されて、当地に西下して、狭山藩主となりました。

北条氏は、狭山池の北東に、上屋敷、下屋敷を設け明治維新まで、狭山藩の経営に当たりました。

中でも、五代藩主氏朝の善政は有名です。

古代に飛鳥地方から、河内湖へ流れていた大和川は、1704年に、江戸幕府の手で付け替え工事が行はれ、現在のように、堺市を東西に流れ大阪湾に入る河川になりました。

従いまして、此れまで、遠くは、平野や住吉地区迄流れて、各地の田に水を供給していた東・西除川は、新大和川で、その北流をストップしました。

狭山池 水面静かに ついりかな


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