左右の石棺!!

慶長13年に、豊臣秀頼の命を受けた片桐旦元が作りました左右の石棺は、樋に集中する水から堤を守る為に、家形石棺が二段に積まれていました。石棺の小口はいづれも、くりぬかれていました。これは石棺が樋管として再利用されたこと示しています。     


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