社会教育における若干の提案
クラブ運営上に於ける一つの課題は、クラブ員が揃って講習内容を理解し、同じ進度でパソコンの技能を修得することであって、その成果が各人の目的達成の喜びであり、やり甲斐にもつながってくると考えられる。
もちろんクラブは学校でも進学塾でもないことは明らかであり先を急ぐ必要はない。しかしクラブ員が時間のやりくりを付けて参加していることも踏まえて考えると、有る程度の進歩は目的達成の喜びという点で必要な事と考えられる。
ただ、、経験年数の差ならびに個体差から来るハンディキャップを、クラブ員の全てがクラブを止める事なく、どう克服していくかはクラブにとって大きな課題である。
(1)常に講習修了者を受け入れるクラブでは、クラブでの経験を有する者が講師となって、導入教育を図る。
クラブの顧問講師の哲学は、「教えることこそ、最高の学習の環境を提供するものである」と言うことにある。
(2)初心者にとって最もパソコンで戸惑うのは、特殊用語でありモニター上に作成されたオブジェクトと現実との違和感である。
何分初めて接するパソコンの画面は、初心者にとっては全くの仮想現実である。依って出来る限り日常的な用語と操作とを対比させながら指導するのが好ましい。
一例を以下に示す。
@[編集]-[切り取り]、[編集]-[コピー]、[編集]-[貼り付け]などは、実際に新聞などをコピーしたり張り付けたりして、会報などを編集させてみるとよく理解できる。
Aフォトショップを使っての写真に影を付けると言うテーマでは、影の部分をズラス必要がある。この場合ズラス余裕分だけ画像を大きくしておかなければならない。その説明として箱を用意し写真と影の部分をズラス余裕を実体験させるetc.。
(3)講師を迎えた時間には、クラブ員一同当日のテーマに関して、その設計思想と具体的な手順について講師の話を聞き漏らしてなるものかと、パソコン操作をこなしながらも必死にメモを取っており、その姿は遠い昔かって私どもが学生時代にとっていた修学態度と比較してみるに付け感動的ですらある。
(4)講師を迎えた時間には、クラブ員一同当日のテーマに関して、その設計思想と具体的な手順について講師の話を聞き漏らしてなるものかと、パソコン操作をこなしながらも必死にメモを取っており、その姿は遠い昔かって私どもが学生時代にとっていた修学態度と比較してみるに付け感動的ですらある。
しかしながら、講義が終わり翌週の自習時間になると、残念ながらそのメモはあまり役に立っていない人も多いように思われる。
講師の講義の中で話された設計部分の考え方よりも、具体的なパソコンの操作手順を記述することに重点を置いているからである。
その傾向は理解力に難のある方ほど強く、考え方を重視する人は例え勤務の都合などで欠席されたとしても、クラブ員同士の助け合いの場で難なく理解してしまうのである。
これは「木を見て森を見ず」の例えのように、全体構想があってこそパソコンの操作手順が誘導されているわけであるから、両々相まってバランスよく吸収すべき物と考えられるからである。
年齢層の高い我々は記憶力はとみに減退するので(老人力の進化)、それを何とか理解力でカバーしなければならず、このバランスは是非とも必要と判断される。
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