平成26年7月5日(土)、小学校で七夕祭が行われた日のことでした。住吉校舎顕彰記念ホールで、七夕祭に訪れた保護者のみなさんを対象にして、2年後に創立100周年を迎える学院の歴史について、創立のころを中心にしたお話をする企画がありました。兵頭慎小学校長の要請を受けて、100周年記念事業課の八木孝昌が説明役を担当しました。
話の終りに、「9月末からNHKの朝ドラ『マッサン』が始まりますが、その主人公リタ竹鶴は大正時代に帝塚山学院小学校で英語の先生をしていました。
それで当時の卒業アルバムなどを探しましたが、リタの写真は残念ながら見つかりませんでした」と八木が言うと、会場にいた小学校児童の保護者中野大作さんが、「いえ、リタさんの写真はあります。私はリタ竹鶴先生が写っている卒業アルバムをもっています」と発言されました。
驚いた八木が数日後に中野さんの経営している堺市の店に行って、そのアルバムを見せてもらいました。「帝塚山学院小学部第五回卒業記念 大正十二年三月」と表紙にあり、教員の写真を掲載したページには「竹鶴先生」が写っていました。
学院の資料室に卒業アルバムが保存されていて、小学部の第4回卒業(大正11年)、第6回(大正13年)、第7回、第8回はありましたが、第5回が欠番になっていました。それを中野さんがもっていたのでした。
しかし、そのアルバムは中野さんが両親あるいは祖父母から引き継いだものではありませんでした。中野さんは、以前に、庄野貞一初代学院長が書いた『十八ヵ国欧米の旅』(昭和2年に庄野学院長が欧米の教育視察に派遣されたときの報告記録)を読んで、教育者としてのスケールの大きさに感銘を受けました。それがきっかけとなって、中野さんはインターネットを使って帝塚山学院関係の資料を収集するようになりました。
そのひとつが「小学部第五回卒業」のアルバムだったわけです。中野さんの収集品には、他にも学院資料室で欠番になっている学院幼稚園の昭和初期の卒園アルバム数冊、大正時代の幼稚園児の「通知簿」などの貴重な資料がありました。
100周年記念事業課では、それらの資料を借り受けてスキャニングし、そのすべてを電子データとしてコンピュータに取り込みました。
また、収集品には、第2代理事長の山本藤助2世没後の昭和2年(1927)に山本家が限定刊行した追想集『藤蔭餘影』(藤蔭は藤助2世の雅号)があり、それも借り受けて、全ページのコピーをとって保存しました。
竹鶴政孝の最初の職場は、帝塚山の南の神ノ木にあった摂津酒造ですが、その摂津酒造が昭和初期につくった(4代目阿部喜兵衛さんの推定)販促用の看板を、中野さんがインターネットを通じて入手しました。「竹鶴政孝とリタ展」の始まる前日のことでした。
そこで、その看板も会場に展示されることになりました。展示品の目玉は終戦後間もない時期に製造されたニッカウヰスキーのボトルと学院小学部第五回卒業アルバムと摂津酒造の看板の3点でしたが、そのうちの2点が中野大作さんの収集品をお借りしたものでした。